はじめてのともだち

EDUCATION

First Friend

先日、オランダに来て初めて、娘が自分で友人を作った。相手は、英語圏の文化で育った英語を話す子だ。言葉で会話が出来ない2人が知り合った過程と、言語に関する娘自身の気づきについて書き残しておく。

出会いのきっかけ
娘は、王の日のフリーマーケットで中古のスクーター※を手に入れてからというもの、四六時中それに乗りたがっていた。その日はいくつかの用事があり、彼女の要望である、”スクーターであそぶ”を組み込むのは難しかった。しかし、どうしてもどこかでやらせてほしいとのことで、午後の数時間を確保して近所の広場で遊ぶことにした。この、「スクーターに乗って遊びたい。(自分ひとりでも、誰かに反対されてもやりたい)。」という熱意が、後に、彼女にとって気が合いそうな友人が出来るきっかけとなる。
※どちらでも正解なのだろうけれど、キックボードよりも、scooter(スクーター)の方が単語として主流のようなので、スクーターと記載する。

人々が集う 広場
ヨーロッパには、広場が多い。”ローマの休日”のスペイン広場や、”ライフ・イズ・ビューティフル”のグランデ広場など、ヨーロッパが舞台になっている映像作品には、印象的な広場が登場する。広場は、人が集い、時に何かが起こる予感がする場所だ。

気がつけば 並走していた
青空の下、娘は、スクーターに乗って広場をぐるりと1周し、私の元へ戻ってきてハイタッチをすることを繰り返していた。私はベンチに腰掛けて、そんなに楽しいのなら良かったと、文庫本を片手に見守っていた。しかし、10周を過ぎた頃、一瞬目を離した隙に急に姿がみえなくなり娘が戻って来ない。あれと思って顔をあげた瞬間に、私の目の前を、2台のスクーターが猛スピードで横切った。もう一台のスクーター乗り、それが🌼だった。気がつくと、2人は並んで走っていた。

相手の子の”3, 2, 1, Let’s go! ”というかけ声で、2人は何度もスクーターチェイスをした。その後、私は、向かいのオープンカフェのテラス席に、🌼のパパがいることに気がつき、挨拶を交わした。彼は、子どもたちにアップルサップをごちそうしてくれて、親たちは互いに、また会いましょうと言って、連絡先を交換し、別れた。

今日は いい日
娘は興奮していた。オランダに来てから、まったく同年代の子どもたちと遊んでいなかった訳ではなかったし、その中には良い出会いがあった。しかし、全て親にお膳立てされた状況で出会うのと、自分が行動したことがきっかけで起こるそれとでは、何かが大きく違うらしかった。娘は、「自分が夢中で遊んでたら、側にもうひとりスクーターに夢中な子がいて、いつの間にか一緒に遊んでいたんだ。今日はいい日だなあ。」と言った。こんなに嬉しい日はなかなかないということで、娘と私は、「はじめてのお友だち記念日」を祝うことにし、近所のレストランで飲茶をいただきながら、乾杯をした。

言葉が通じないのに 心が通じてる
その後、娘は何度か、その新しい友人と遊んでいる。先週は、一緒にピクニックをした。ピクニックの帰り道に、2人でトラムに乗っていると、娘が、「言葉は分からないけど、楽しく遊べるのが不思議なんだよね。」と言った。私が黙っていると、「🌼とは、好きなことが似ているから、次にやりたいことが分かるんだよ。だから一緒に遊ぶと楽しいんだと思う。でも、もっと知りたいし話したい。🌼は英語を話す子だから、英語を覚えたい。先に言葉があるんじゃなくて、ともだちが先で、そのあとに言葉があるんだって気がついたんだ。」と続けた。

子どもに対して願うこと
これまで育児をするにあたり、子どもに対して、将来こうなってほしいとか、そういった親のベクトルをあまり強くしすぎないように気をつけてきた。娘が乳児期に度々入院していたから、とにかく元気でいてくれればそれだけでいいと思うのと、子どもには、それぞれ、本当にその子が好きなことや、その子に向いていることがあると信じているからだ。

それでも、我が子に、こうなってほしいという願いがあるとすれば、それは生まれたときから変わらず、この子に友だちができるといいなということだ。

好きからはじまる フレンドシップ
結果的に今回は、スクーターがきっかけで子どもたちは一緒に遊び出し、楽しい時間を過ごした。子ども本人に好きなことがあって、同じことが好きな子がいて、それがきっかけで仲良くなると、その2人は喧嘩をしづらく、互いに飽きづらく、友人関係の継続性が高いのではないかと、5〜6才の子どもたちを見ていて思うことがある。大人についても似たことを言えるかもしれない。好きなことの基準は、あくまで私見だが、睡眠時間を削ってでもこれをやりたいとか、食べる時間も惜しいとか、そういう感覚が持てるかどうかだ。すべての出会いは可能性に満ちているが、好きなことが似ている友人は、恐らく楽しく過ごせる時間が長い。

友人とは
時々、私自身の妹と、「ほんとうの友達」について話すことがある。私にとって、友人とは、一緒にいて明日のことを考えるとき、力がわいてくる人たちのことだ。数は多くなくていい。そういう友人がいるといないのとでは、人生の充実度はまったく異なる。

信頼できる友人は、得難いものだ。娘と、娘の新しい友人が、これからどのような関係を築くのかは、まだ分からないが、はじまったばかりのフレンドシップを応援したい。

並走するふたり