アメリカ公立校=現地校振り返り (8ヶ月)

EDUCATION

今朝のニューヨークの気温は9℃。カフェにパンプキンのメニューが加わり、スーパーマーケットにはアップルとシナモンの香りが漂う。子供達はもうすぐハロウィンだとそわそわしている。ニューヨークの秋だ。
今朝はじめて挨拶をした近所のおじいちゃんが、あなたのお嬢さんは何度も学校が変わるなんてとてもハードな状況だろうに頑張って乗り越えているなんて勇気があるねと言っていた。そんなふうに言葉にできるおじいちゃんあなたこそ素敵と思った。アメリカへ来て9ヶ月、久しぶりに娘の学校生活と成長過程を振り返っておく。

これまでの学校生活

私の娘は日本にいれば今年小学校4年生にあたる学年で、現在までに日本・オランダ・アメリカの3カ国で教育を受けている。その内訳はこうだ。

小学校1年生4月〜3月の1年間 日本🇯🇵 公立小学校
ブランク2ヶ月
小学校2年生6月〜3年生1月はじめまでの1年8ヶ月 オランダ🇳🇱 公立インターナショナルスクール
ブランク1ヶ月
小学校3年生2月〜4年生10月現在までの8ヶ月 アメリカ🇺🇸 公立小学校(現地校)←現在はここ。

アメリカでの学校については、引っ越しが決まった際に家族で話し合った結果、英語が少し話せるようになったので英語教育の学校へ行くという本人の意向に沿い、日本人学校ではなく公立校(現地校)へ行くことになった。

アメリカで学校に通うまで

日本からオランダの時と同様に、オランダからアメリカへ引っ越した直後は手続きを待ったりで学校に通えず、初めて通学出来たのは渡米からひと月ほど経った頃だった。それまではホテルで日本の教科書をベースに自宅学習をしていたのだが、娘は転校初日に向けてどんどんナーバスになっていった。
新しい場所へ行く時に彼女の心配はいつも同じで「お友達に嫌われたらどうしよう」だ。初登校日の3日前に、学校から初日は昼食と軽食を持参するよう指示があったので、お弁当の中身は何が良いか聞くと、オランダの学校では多くの生徒の主食がパンだったからか、「アメリカの学校に初めて持っていくランチは、ごはんじゃなくてパンにしてほしい。変な子だと思われたくない。」と返ってきた。そして迎えた初日、娘は期待と不安を半分ずつとハムチーズサンドウィッチといちごを持って、学校へ向かった。

どきどきしながら迎えた学校初日

オランダの時は言葉が通じないためカメになっている期間が約2ヶ月あった娘だが、アメリカではその不安は杞憂に終わったようだ。朝学校に着いて早々、ブレイズヘアの教頭先生が私たちを、「ハァーイ!ようこそ私たちの学校へ!!」と出迎えてくれた。こちらの小さな不安など素手で丸ごと吹き飛ばすかのような明るい声の主と私が激しいシェイクハンズをしていると、奥から担任の先生がチョコチップマフィンを食べながら小走りにやってきた。そして、「🌷(娘の名前)、あなたを待っていたわ!何の教科が得意なの?かけ算はできる?みんなスッゴク楽しみにしているわよ!さあ行きましょう!」と言って、ぎゅっとハグをして、またたく間に娘をクラスルームへ連れて行った。いわゆる職員室には他に事務職のかたがたもいて、みんなびっくりするほど明るかった。学校のスーパーウェルカムな雰囲気に何となく安心したものの、それでもうまく行くかなと心配でどきどきしながら放課後を待ち迎えに行くと、娘はバックパックを背負いGoogle Chromebookを片手に「よかったよ!」と言ってニコニコしながら出てきた。私はその表情を見て、心からほっとした。

いらない子がいない学校

ありがたいことに、今年の2月半ばにアメリカの小学校で3年生として転入した娘は、学業面では課題があるものの、英語の補習授業を受けながら学年末である6月の終わりまで、1日も休まずに楽しく学校へ行くことができた。
日本・オランダ・アメリカと3校に渡って「はじめまして。」を繰り返してきた娘だが、現在の学校が一番良いと言う。それには2つの理由があり、ひとつ目は「先生たちが熱心。」なことで、二つめは「いじわるする子がいない。」からだそうだ。

夏休み前にその話をした時、娘は少し言いにくそうに、オランダの学校では授業中に先生から「もうやらなくても良い。」としょっちゅう言われていたことを告白し始めた。授業の内容がよく理解出来なかったり、英語が聞き取れないと、優しくもういいよと言われていたこと、やらなくて良いことに初めはほっとしたけれど、何もしないでそこにいるだけの時間が何度か続くうちに、だんだん自分はここに必要がないような気がしてきて、それが悲しかったこと。今回のアメリカの学校では授業のやり方が全然違い、先生が授業中に聞いていなさそうな子を見つけると、すぐに立たせて質問をして、ヒントを出しながらその子が正解を出すまで質問をやめない。注目をされながら質問を受けるのは緊張をするけれど、出来たら褒めてもらえるので、出来なかった子もまた頑張ろうと思える。みんなが必要とされていてクラスのみんなが出来るようになりたいと思っているのが分かるから、ここはいらない子がいない場所という気がする。やらなくて良いと言う先生が優しくて良い先生のように見えるけれど自分にとってはそうじゃない、本当に良い先生というのは、熱心にやろうよと言うことをあきらめない先生なのだと気がついた。そして、先生がやることをいつもしっかり全員に与えているから、生徒は誰かを攻撃なんてする暇はないほど目の前の授業に集中している、自分はこの学校のスタイルが好きだ。とのことであった。

オランダのインターナショナルスクールは宿題がなくゆるい校風が魅力ではあったけれど、常に生徒の出入りが激しく、先生たちは出来ない分からないといった子供に対して丁寧な指導は難しかったのかもしれない。長くなってしまったので、学校選びについてはまた改めて書きたいと思うけれど、この話を聞いて、私は大事なところを理解していなかったのだと反省し、今彼女が通っている学校と先生たちに感謝した。

今日もスクールバスに乗って

さて、アメリカで娘が学校へ行き始めてから8ヶ月と少し、今日は大きな進歩があった。娘がスクールバスから降りるなり、ママ今日は大大ビッグニュースがあるよというので何かと思ったら、「“Student of the Month”に選ばれた!」と、嬉しさをかみしめるように言った。話を聞いてみると、“Student of the Month”とは月間表彰のことで、娘の学校では月に一度テーマが設定され、翌月に各クラスの担任の先生がよく実践した生徒を一人ずつ選び、選ばれた生徒を毎朝の全校アナウンスで表彰しているという。9月のテーマはリスペクトだったそうだ。これは思いがけない嬉しい報せだった。
なぜなら娘は今年の夏休み明けのクラス替えで新しいクラスに前回のクラスで仲良くしていたお友達が一人もおらず、友人作りに苦戦していたからだ。9月はずっと昼食を一人で食べていると聞いており、私は大丈夫だろうかと心配になった。娘は、友達がいたほうが楽しいって信じてるから自分から明るく積極的に話しかけて頑張るよと言っていたけれど、それを聞いてからは、あまりクラスの友人については触れず、心ひそかに応援していた。そういう背景があっただけに、彼女の頑張りを見ていてくれた人がいたのだと知り、このニュースは私の胸を打った。
短い期間に言葉や文化が違う国へ転校を繰り返し、新しい土地で自分の居場所がない状態になっても、めげずに希望を持ち、笑顔で行動し続ける子供の姿を見ると思わず頭が下がる。それはそんなに簡単なことではないと思うからだ。やはりまだ今のクラスで気兼ねなく話せる友人などは出来ていないようで、いい日も、そうでない日もあるけれど、どんな日も彼女が家に帰ればほっとできる場所を提供したい。私にはそれくらいしか出来ないけれどそれだけは守ろう、と誰にいうでもなく思いながら、子供たちが乗りこんだ黄色のスクールバスに毎日手を振っている。

学校でもらってきた表彰状 ほかにもいろいろなアワードがある