暖かい日差しにこたえるように植物がいっせいに芽吹いた今朝、気がついたら5月になっていた。日本ではつつじが満開を終え芍薬やバラを待つ頃だろうか。アメリカのほとんどの小学校は、10日ほどのスプリングホリデーを終えて今日から通常授業を再開している。先週は娘の用事で、ずっとロングアイランド鉄道に乗ってニューヨークシティのマンハッタンに通っていた。そこで見聞きしたことを書き残したいのだが、その前に我が家があるロングアイランドとニューヨークシティの関係性について説明しておく。
ロングアイランド
私と家族が現在住んでいるのは、ニューヨーク州の東側に伸びるロングアイランドという島の中ほどに位置する街だ。摩天楼がそびえたつマンハッタンとロングアイランド各所の間にはロングアイランド鉄道(LIRR)が走っている。鉄道は今年で設立190年、昔から夏になると、ロングアイランドにサマーハウス(別荘)を持っているニューヨークシティの住人をたくさん運んでいたそうだ。ロングアイランドは、スコット・フィッツジェラルドをはじめ小説家や詩人など、アメリカの風変わりな物書きたちに好まれた場所でもある。マンハッタンと関係が深く、アメリカでは避暑地として比較的長い歴史を持っているロングアイランドなのだが、近年は土地開発が盛んに行われたため郊外住宅地としての需要が高まっており、群ごとの自治や教育が推進されていたりと、別荘地とは少し違う文化を持つ場所へ発展する途上にある。そしてロングアイランド鉄道は、マンハッタンに通勤する人たちを毎日運ぶ足として、また住民が家族に会いに行ったり行楽へ出かけたりする際の交通の要として活躍している。私の自宅周辺に住んでいるご近所さんたちは、ロングアイランドの春と夏は自然が美しくて最高だという。
ニューヨーカー
いままであまり深く考えたことがなかったけれど、アメリカに住んでロングアイランドの人たちと話しているうちに分かってきたのは、私自身を含めアメリカをそんなに知らない人がイメージする「ニューヨーク」とは「ニューヨークシティ」のことなのだ、ということだ。ニューヨークシティは、タイムズスクエアや摩天楼がそびえたつマンハッタン、若者やアーティストを中心に人気のいまをときめくブルックリン、エスニックな文化で知られるクイーンズ、野球場があるブロンクス、そして自由の女神行きフェリーの途中にある南端のスタテン・アイランドと5つの行政区で構成されている。アメリカの世間一般に「ニューヨーカー」というと、このニューヨークシティに住む人たちのことを指す。ロングアイランドの人たちは、自分たちはゆったり暮らしたいし生粋のニューヨーカーとはまたちょっと違うんだよねというふうに話し、ニューヨークシティやマンハッタンのことを聞こえるか聞こえないか分からない声でみじかく「…シティ。」と呼ぶ。私にとっては早口のニューヨーク訛りはみんなニューヨーカーという感じなのだけれど、何か思うところがあるらしい。ちなみに文字ベースだとニューヨークシティはNYCで、ニューヨーク州全体を表すときはNYと書く。役所や手続きなんかをやっているとそうなのかと分かってくる。
オランダにいた時に、フランスの友人がこう言っていたことを思い出す。「ひとたびそこに自分が関わると、より細かいことに気がつくようになったりするよね。それって世界が広がってすごくいいことなんだ。」彼は、アフリカで働いた時に、それまで一様に感じていたアフリカの人たちの民族の違いが、顔や仕草・言葉などから分かるようになり、今までよりも注意を払って接するようになったら自分の中に彼らへの新しい敬意が生まれはじめたことに気がついたそうだ。私のこの感覚もそんなふうに変化するといいなあ、と思う。そんなわけでたまに友人から、ニューヨークに住んでるならニューヨーカーだねと言われることがあるが私はニューヨーカーではない。しいてあげるなら期間限定のロングアイランダーというところかもしれない。
マンハッタンは小旅行
さて、我が家からニューヨークシティ・マンハッタン地区の中心に位置するグランドセントラルターミナル(中央駅)までは、片道1時間半ほどかかる。これは、鎌倉-東京間を列車で行くのとほぼ同じ距離と時間だ。先週は、眠い目をこすりながら5時すぎに起きて、洗濯・お弁当作り・朝食作り&あと片付け・娘の髪結いサポートetc.を終え7時半に家を出て6寺半に帰宅するというスケジュールを繰り返した。忙しさが朝に集中していたため、ロングアイランド鉄道の最寄駅に着く頃にはひと仕事終えた気になり列車で読みかけの本を持ったまま数回うとうとした。デジタル化が進んでいるアメリカ国内では鉄道やバスのチケットはアプリで楽に用意できるとはいえ、自宅からマンハッタンの道のりは私にとってまだ準備をして挑むものというか、なんとなく田舎から都会へ出てくる感覚なのである。だからこそ、ロングアイランド鉄道の車掌さんの”The next station is Grand central, Grand central (次は中央駅、中央駅)“という社内アナウンスが流れると、ようやく到着かと都をはじめて訪れたような嬉しさがこみあげてくる。ロングアイランド鉄道の昔ながらの列車という雰囲気が旅気分を上げているのかもしれない。
ロングアイランド鉄道が最後に地下にもぐり、グランドセントラルターミナルへ着くと、列車を降りる直前に娘が「ママ、今日も冒険がはじまるね!」と言う。私は、「今日も気をつけながら歩くよ!」と喝に近い気合いを入れて娘の手をしっかりとつなぎ直す。街のスピードに合わせるように、少しずつ歩調をはやめて、早口でおしゃべりをしながら、アメリカ合衆国最大の都市マンハッタンの街へ2人で繰り出す。それは何度経験しても、本の1ページ目をめくるときのように新しい期待が光り輝く瞬間だ。