今朝のニューヨークの気温は12℃、うっかりノースリーブのシャツで寝てしまうと寒さで目が覚めて、一瞬ベッドから出たくないなと思うくらいの涼しさだ。今回はハロウィンが近いということもあり、アメリカで私の身に起きた恐い事件について書きたい。
いつものカフェが暗転した瞬間
その日は、娘が通う小学校の授業参観日だった。学校で参観を終えた私と夫は、帰りのスクールバスが自宅近くのバス停に到着するまで時間があったので、近所のカフェでお茶をすることにした。2人席の私は通路側、夫は壁側に座った。
数分ほど経った頃に突然、おだやかに話していた夫の顔に不自然な緊張が走った。変だなと思いながら声のトーンを落とすと、私の頭の上から男性の声が聞こえてきた。
「F*ck…you!B*tch!!!(くたばれ!このクソ女!!!)」
単語の意味を認識したとたん、背筋が凍った。
ほんのわずかに首をかたむけて後ろを振り返ると、目の焦点が定まっていない1人の男性が私を罵倒していた。
その男性は、叫ぶまでいかない少し大きめの声で、思いつく限りの人種差別的な悪口を私に対して吐きつづけていた。
私は、単視点レンズというあだ名があるくらい、フォーカスしている部分だけくっきり見えてほかはボンヤリとしていることが多い。そんなだから、夫と会話している最中に誰かが背後霊のようにくっついて自分にぶつぶつ話しかけているなどとは夢にも思っていなかった。しかし気がつけば店内は静まり返り、全ての客が緊迫した表情でその男性と私たちの事の成り行きを見守っていた。
やまない罵倒と差別発言
遅まきながらようやく状況を理解した私は、とりあえず夫と日本語での会話を続けようと試みた。こういう時に最もやってはいけないことは、挑発に乗って相手を刺激をすることだ。以前に夫とそのような話をしたことがあったので、彼は同じ考えのように見えた。私たちは反応せず、つとめて平静を装って相手があきらめて去るのを待とうとした。
しかし、その男はいっこうにあきらめる気配はない。内容も声のボリュームも悪いほうにエスカレートしていく。
「おまえのような破廉恥な中国女のせいで俺は職を失った。中国人はくたばれ。」
「おまえがどんなことをして俺たちの金を盗んだか知っている。すべての顔が潰れたアジア人はこの街から出ていけ。」
「生きていることを恥ずかしく思え、このバカ女!」
全然罵倒が止む気配はない。その男性と私たちの根比べになった。
助けてくれた老夫婦
我慢すること10分、夫の表情が変わり始めた。銃社会のアメリカでは、危ない行動をする人に出会った時に、怒りや怯えなどの感情をあらわにしたとたん命の危険が迫ると言われている。相手がガン(銃)を持っているかもしれないからだ。よって怒ることは何としても避けなければいけず今回のケースもそれに該当していた。夫はしかし、頭では冷静になるべきだと分かっていても、目の前で自分の家族が罵倒され続けているのを黙って見ているのが相当苦しいらしく、目は殺気を帯び、頰は紅潮しはじめていた。
私は、気持ちは分かる。分かるけれども怒ってはいけない。どうか静まれ夫!と祈る気持ちでいたが事態は一向によくならない。
(あ、怒りそう…危ない!)
と思った瞬間、隣の席の人が席を立った。カフェの店内には14〜5人ほどの人がいた。私たちの隣の席には初老のカップルがおり、その男性のほうが店員さんを呼びに行ってくれたのだった。
まもなく若い男性の店員さんがケーキのショーケースの前に立ち、その男に声をかけた。
“Hi, have a great day!(やあ、良い日になるといいね)”
初めは私への罵倒をしつこく繰り返していたその男だったが、徐々に男性店員のほうに興味が移り、興奮がおさまったのか、私にF*ckin’!Chinese B*tch!と繰り返しながらカフェから出て行った。
その後、店内奥から女性マネージャーが出てきて、カフェにいた客全員に、誰かあの男を知ってる?と聞いた。みんなが知らないねえ、とか、あんなクレイジーな人見たことない、とか言って首を横に振った。マネージャーは夫と私に対し、「私たちのお店で大変ご不快な思いをさせてしまい本当に申し訳ありません。もし次に同じことが起きたらすぐにコップ(警察)を呼びます。」と丁重に謝罪した。
今年のアカデミー賞でも話題になっていたけれど、現在のアメリカにおいて人種差別主義者とみなされることは人として最も恥ずべきことだと認識されているらしい。それは店も同じだ。マネージャーのかた個人としての憤りもさることながら、私の住んでいる街にはアジア系の人もたくさんいるので、あの店はアジア系を差別するなどという評判が立つことは立場上良くないのだろうと感じた。
私は体中の力が抜けそうになるのを抑えながら、隣のカップルにお礼を言った。ふたりとも、ひどい目に合ったね、でももう大丈夫だよと励ましてくれた。
先ほどの男性がまだうろうろしているかもしれないということで、そこに少しの間だけど留まったのち、夫とカフェを後にした。
後日談
私は、いつものカフェに現れた、おそらく女性とアジア人に強い恨みを持っているであろう男性から、通算約20回目のチャイニーズB※※という言葉をを聞きながら内心こう思っていた。
(B*tch以前に私はチャイニーズではない)
もちろんその場では言えなかった。
無事だったことをまずは喜ぶべきではあるけれど、やはり恐ろしかったし、それに不快だった。また、少しばかり濡れ衣を被ったような複雑な悔しさがあった(もちろん中国が差別されて良いとかそういうことではない)。
後日、近所に住む友人のエミリーにこんなことがあってショックだったと話したら、彼女は、まさかロングアイランドの中でも平和なこの街でそんなことが起きるなんて恐ろしい、許せない!と共感を示した後、最後に、「でもそれなら、私はジャパニーズB*tchよ!ってその男に言い返してやれば良かったわね。そうよ、もし万が一また同じような目に遭ったらそう言ってやりましょう!」と言って、ニカッと笑った。その瞬間に胸のつっかえが取れた気がした。こういうニューヨークの女性の泣き寝入りしないタフさと明るさに助けられることは多い。彼女がネガティブな話を笑いに変えてくれたおかげなのか、事件の日以来あまり眠れなかったのに、その晩はぐっすり眠れた。
危険がとなり合わせの外国で知っておくべきこと
さて、あくまでも個人の感想になるけれど、この話の教訓はこうである。
海外には危険がいっぱい!気をつけよう。
危険を避けるには…
・危険な場所に近づかない
・危険な人に近づかない、目を合わせない
危険な場所の特徴は…
・夜
・ダウンタウン
・公共の公園やトイレが近い場所
・有刺鉄線が多い場所
危険な人の特徴は…
・目が虚ろ
・歯がほとんどない
どうしても危険な状況に陥ってしまった時は…
・危険な人を刺激しない
・危険な人に出来るだけ反応をしない(逆上されることがあるので無視も良くないと言われている)
・とにかく距離を取る
・相手が武器を持っていたら抵抗しないで全部差し出す
おわりに
(ああ、こわかった。)
これが事件後の正直な私の感想だ。
あたりまえだけれど、言葉、文化、習慣が違う国での暮らしは大きな変化の連続だ。今回のように安心出来ると思っている場所でも予期せぬトラブルが起きることだってあるし、その都度臨機応変な対応をしないと命にかかわることもある。
私がオランダに住み始めた頃、以前に海外在住経験がある友人が、海外の暮らしについて、日本で何も考えずに当たり前にしていたことも緊張や集中が必要で日常生活をしているだけで疲れる、とメールに書いてくれたことがある。実際その通りで、よくその言葉を思い出しては励まされた。アメリカはオランダより治安が良くないので、私は本来苦手なはずの危機管理という項目に、毎日自分が持っているエネルギーの50%くらいを使っている気がする。子供を連れていると尚更で、この、いつどこにいてもどこか張りつめた感覚は、日本では経験がないものだった。
今回こちらで詳しく書いたのは、外国で生活することのネガティブな一面を具体的に知ってもらいたかったからであり、また、もしこれから外国へ出ようという人がいたら、こういう危険な状況がある事実と対処法を少しでも事前に伝えたいと思ったからだ。
世界のいろいろな場所へ移動している人たちがみな、安全に過ごすことが出来ますように。