“HEART STOPPER”
“HEART STOPPER(邦題:『ハートストッパー』)”は、イギリス発のグラフィックノベルだ。Netflixが放映権を獲得し、今年の4月にドラマシリーズが公開になったことでも話題を呼んでいる。
TumblrとTapasに掲載されたウェブコミックから始まった、『ハートストッパー』シリーズは、瞬く間にオンラインファンを獲得し、その数は、現在までに5,210万ビューを超えている。当時22才だった著者のアリス・オズマンは、2016年にクラウドファンディングで限定版を制作し、2時間足らずで目標金額を達成。そして2019年春に、英国最大の児童書出版社のひとつであるHachette Children’s Groupが、印刷版の『Heartstopper Volume One』を、より広く出版した。
グラフィックノベルとは
グラフィックノベルは、長編や複雑な小説の作品を、コマ割りで分かりやすく表現したものだ。平たくいうと、「大人向けの漫画」といったところだろうか。もともとは、ヒーローものなどの、いわゆるアメリカンコミックスと一線を画すために生まれたジャンルらしい。難しい話でも読者が読みやすいところが魅力で、欧米では新書のグラフィックノベル化が流行している。
書店ウィンドウでの圧倒的な存在感
日本でもオランダでも、たいていの書店では、1〜2週間に1度程度、メイン陳列棚の入れ替えをする。他の本が次々に差し替えられていく中でしかし、このハートストッパーは、私がオランダへ来てから約半年間以上、1番目立つ陳列棚の上座(中央)に置かれ続けている。もしも、ヨーロッパ流行語大賞があったら、今年度末のノミネートは確定だろう。
ティーンが読み耽っている現場を複数目撃
この本が、書店で不動の地位を築いているらしいことは分かったものの、人気の本があるらしい、楽しそうな男の子2人組のイラストが描いてあるから青春の物語か何かだろうくらいにしか思っていなかった。しかし、行く先々の本屋で、常に必ず平置きかつ書店員の愛あるコメント付きで紹介されている上に、10代の学生たちが、カフェなどでこの本を一心不乱に読んでいたり話題にしているのを目の当たりにして、社会現象だと感じるようになった。私は、オランダやヨーロッパの若者が何を考えているのかを知りたいなと思ったこともあり、読んでみることにした。
男の子が男の子を好きになる話
ハートストッパーは、イギリスの中学校が舞台だ。同じ授業で出会ったニックとチャーリーという2人の10代の少年が、気が合ってすぐに友達になり、恋に落ちるまでを描いた作品である。初恋、友情が中心のテーマだが、そこには、性的指向に対する同級生から偏見やいじめ、カミングアウトをする際の心の葛藤など、現代社会におけるティーンエイジャーの本音がしっかり表現されている。主人公のひとりである、ラグビー部の人気者ニックが、自分の性的指向に初めて気がつき、戸惑いながらインターネットの検索窓に、”Am I gay?”と入力する場面は、とてもリアルだ。また、息子であるニックの異変に気がついた彼の母親とニックのやりとりは、思いやりに満ちていて、読んでいると当事者になったような気がして、胸が締め付けられる。本作では、主人公と、主人公を取りまく家族や友人たちとの素直であたたかいやりとりも、見どころのひとつだ。
※クィア…英語で性的マイノリティや、既存の性のカテゴリに当てはまらない人々の総称。 性自認(自分で認識している自分の性)や、性的指向(好きになる性)が、その人のいる時代や文化のなかでマイノリティとされるときに使われることが多い。 「クィア・ジェンダー」とも呼ばれる。
BLとかそういうジャンルの話ではない
良い作品だったので、日本にいる友人にも紹介しようと思い調べたところ、いくつかのウェブサイトで、BL(ボーイズラブ)というジャンルで紹介されていることに気がつき、少し違和感を覚えた。著者のアリスオズマン自身がLGBTQ+を公表しているので、同性愛がハートストッパーの特徴のひとつになっていることは事実だ。けれど、その要素を越える魅力があるから、オランダの書店で、この本は、メイン棚やTOP10コーナーに加えて、ロマンス、青春のコーナーに置かれているのだ。私見だが、男性と男性が恋に落ちるという時点で、BLというジャンルを与えられ、「ボーイズラブの決定版!」などのキャッチコピーとともに紹介され、この作品が本質的に持つ魅力が限定された層にしかアピールされないことは、遺憾だ。
性(ジェンダー)の考え方に人々が寛容な国オランダ
オランダは、世界で初めて、同性愛者同士の結婚を認めた国だ。首都のアムステルダムでは、毎年夏に盛大なプライドパレード(旧ゲイパレード)が開催される。公に自分の性(ジェンダー)を解放する人も年々増えている。7・8月は、ワークショップもたくさん行われ、街中がレインボーの旗でいっぱいだ。オランダが性の多様性に理解があることは、グローバルに認識されているので、世界中から性の自由を求める人が集まっていて、そのまま住みつく人も多い。娘の学校には、お父さんが2人という子が何人かいる。「人はそれぞれ違う背景を持っている、でも仲良くする。」という考え方が基本だ。ハートストッパーはイギリス発の作品だが、オランダで大きくヒットする理由がよく分かる。
近所に住むおじいちゃんカップル
私は、いつも行くスーパーマーケットで、近所に住む、おじいちゃんカップルによく会う。1人は歩行器を使っていて、いつもそこに、もう1人が寄り添って支えながら、一緒に歩いている。「パプリカは、こっちの方が新鮮そうじゃない?」などと真剣に買いものをする彼らは、目が合うと、にこやかに挨拶をしてくれる。見ているこちらがほのぼのした気分になるような仲睦まじいふたりだから、周囲の人々から愛されていて、時々若い人が訪ねてきては玄関先でティーパーティーや日光浴をして楽しそうだ。ふたりが想いあっているのは一目瞭然で、生涯の伴侶を見つけたんだなと、あたたかい気持ちになる。男性と男性だからどうこう言う人は、おそらくいない。このような社会的寛容さは、オランダの魅力のひとつで、本当に尊敬すべきところだと思う。
おわりに
人が人を好きになる気持ちは、止められない。私たちは、どんな人を好きになる可能性だってあるし、好きになったなら自分や相手の気持ちと向き合って、大事にしたい。ハートストッパーは、誰かを好きになる気持ちに対して、ポジティブに背中を押してくれる作品だ。英語の本は苦手という人でも、日本の漫画に近くて読みやすいと思う。中学生以上の学生が読む初めての英書としても良いかもしれない。ハートストッパーの原題”heart stopper”は、心臓が止まるくらい驚かせるもの、という意味の言葉で、聞いた瞬間に初恋の衝撃をイメージさせる。恋の経験がある人にも、ない人にも、きっとこの作品は、甘くてあたたかい刺激をくれるに違いない。
参考:Alice Oseman公式webサイト