欧州から米州へ

LIFE LANDSCAPE

ヨーロッパからアメリカへ

アメリカへ来てもうすぐ3ヶ月になる。私たち家族は、2022年3月に日本からオランダのアムステルダムへ引っ越した。そしてオランダで約1年10ヶ月暮らしたのち、今年2024年1月に夫の仕事によりオランダからふたたび移動し、現在はアメリカのニューヨーク州郊外で生活している。移動前後に感じたことを記録しておく。

ぼやかしのヨーロッパ

オランダを離れて分かったことは、ヨーロッパは曇っているということだ。私はオランダで生活した1年10ヶ月の間に、近隣のベルギー・フランス・ドイツをはじめとしたいくつかの国を訪れた。ヨーロッパ諸国の空は、多少の差や例外はあれど、空が雲や朝もやに包まれていることが多かった。

ヨーロッパは空だけでなく人々の話しかたも終始ふわふわと捉えどころがなかった。天気が曇っている、つまり見えそうで見えない部分があるおかげで心が晴れきらず、人と会話した後などにも、「分かりました!私はちゃんと分かっております!」と言えない妙な気持ちになるのだ。事実や進捗よりも雰囲気の柔らかさを良しとしているように感じた(言った言わないのトラブルは日常生活において頻繁に起こり、たとえ相手に非があったとしても言い訳を述べはじめる人が大半で謝られるケースは稀だった)し、場所が都心か郊外かを問わず、カフェや市場には怒ったら負けという空気があった。

このヨーロッパの、のらりくらりとした「ぼやかし感」は、ネガティブにはたらく面があるいっぽうでなくてはならない魅力でもある。例えば、フランスの田園地帯の夕方に空があかね色に染まっていく様などは、ほんとうにこの世のものとは思えないほど美しくて、このような自然風景がなければ印象派の絵画などの芸術は生まれなかったのだろうし、ドビュッシー作曲の「雲」なんて、どこからともなくあらわれる不穏な空気がこれぞヨーロッパという気がする。

さらにこのヨーロッパのグレー性を人や国同士の関係性という視点から見ると、会話の隅をつついたり徹底的にやり込めることをせず白黒つけずに終わらせるムードをかもしだしているからこそ、それぞれ主張の違う国々が陸続きでまとまっていられるのかもしれないとも思う。ヨーロッパの人々は、生活全般において小さなひとつひとつの流れの積み重ねを大切にしているので、同じように見えてちょっとだけ違う日々の会話を毎日くり返しては、熱心にお茶をすする。これほど人との会話を重視し会話術に長けている人たちは世界でもそういないのではないだろうか。新しいものより古いものに重きが置かれているので家の値段は年に一度値上がりするのが一般的だし、時代が変化しているとはいえ伝統が引き継がれることが重視されており、人でも物でも昔からある何々だとか、変わらないことにスーパー誇りを持っている土地なんですということが街を歩いているとひしひしと伝わってくる。
レンガや会話を小さくこつこつ積み重ねて天使の羽根でふんわりとくるんだ長い月日や、夢幻(ゆめまぼろし)のようなぼやかしさは、今後もヨーロッパ大陸を行き来し続け守られてゆくのだろう。

ヨーロッパ フランス 印象派画家のモネが半生を過ごした ジヴェルニー村の夕暮れ

はっきりくっきりアメリカ

アメリカへ来て初めに驚いたのは、天気の良さである。1月と2月に少し雪が降ったけれど、晴れた日は見渡す限りのクリアブルー・スカイ。しかもこの青天が1日中続く日だってあるのだ。光をさえぎるものがなく、木々と家など建物との境界線が鮮明なので、日本やヨーロッパにいる時と比較すると、より視界が開けてはっきりした気持ちになる。1年の大変が悪天候というオランダから引っ越して来たので、アメリカで初めて晴れた空を見上げた時は驚きと喜びが抑えきれなかった。私は、空に向かって青ーい!と叫んでみた。大きな声を出しても全く怒られる気配がないのもアメリカならではである。自由で開放的なアメリカの気質やとてつもない解像度のハリウッド超大作の誕生に、この抜けるような青空がひと役買っているのは間違いなかろう。空が明るいだけで明るい気持ちになる、それは紛れもない真実であることを、広く澄んだ空の下で実感している。

アメリカ ニューヨーク マンハッタンとブルックリンを結ぶ ブルックリン橋

新生活はアイデンティティのスクラップ&ビルド

-“People never know how life will turn out.” 人生は予想外の連続だ。
私たち家族は、この2年間で引っ越しを4回経験した。そのうち3回は外国内外での移動だ。それらは全て、異国での生活をとおして家族で生きる力をつけるという目的のもと、自ら望んだとか選んだというよりは、そのたびごと必要に迫られての動きだった。

引っ越しは変化であり、変化とはバランスを崩すことだ。住み慣れた日本からオランダへ引っ越した時も、水漏れで家を追われたままオランダからアメリカへ引っ越した時も、大げさに聞こえるかもしれないけれど、一度自分というものがバラバラに解体され引き裂かれる感覚があった。環境を変えたことがある人なら誰でもそうだと思うけれど、知らない場所で生活をゼロから立ち上げていくのは順調なことばかりではない。時には体調を崩したり不安や恐怖や虚しさを感じて動けなくなりそうな日が出てくる。今回アメリカでもそのようにバランスを崩しそうになる危うい期間があったが、その時にイギリスの古い教え「どんな時もイギリス人は自分を取り戻そうとする。」という考え方がずいぶん助けになった。
移動を繰り返すということは、すなわちこれ好きなもの必要なものが研ぎ澄まされるということである。新しい場所へ出かけて行って、新しいものと出会い、試し試されてはじめて見つけることができるエッセンシャルな自分(それはおおむね内面的なものであることが多いように思う)を核にして、ここからふたたびその土地に適したマナーやふるまいといった外面的なものをじょじょにまとい、変化が激しいと言われる時代に生き延びる力を少しでも養いたい。