オランダ公立インターナショナルスクール振り返り(6ヶ月)

EDUCATION

Reflections on the first six months at Dutch International school

オランダに春を告げる黄や紫のクロッカスのつぼみがひとつふたつと見えはじめた先月末、娘が通うオランダの公立インターナショナルスクールの1学期が終了した。2022年6月に入学してから夏休みなどの長期休暇を除いて6ヶ月。半年の節目に娘の成長過程を書きとめておく。

言葉が持つ影響力の大きさ
日本を出るときに不思議なことがあった。それは外国に引っ越すことになりましたと言うと何人かがすぐに、「きっと英語がペラペラになるね。」という話をしたことだ。大人である私だけでなく子どもである娘にも伝えてくれるのだが、大抵の場合は返答に困りふたりでお茶をにごした。私が戸惑った理由は外国といっても行き先が英語圏ではなかったのと、たとえ英語圏であっても選ぶ教育環境で言語習得状況はだいぶ異なってくるのではないかと思っていたからだ。また子どもからすれば、突然慣れた場所を離れることになり不安やドキドキを抱えている状況で英語がどうとか言われてもよく分からないというのが本音だろう。しかし外国で暮らすイコール英語ではないにせよ言葉が違うことが生活に与えるインパクトは大きく確かなことで、いろいろな人が興味を持つのもうなずけるし、オランダで暮らして1年が過ぎようという今、言葉は言葉以上のものであると痛感している。

オランダの学校選び
さてオランダで学校に行く場合、公用語はオランダ語なので現地校へ行けばオランダ語で教育を受けることになる。またアムステルダムやロッテルダムといった大きな都市には日本人学校があるので日本語教育という選択肢もある。我が家は一定期間の駐在後は日本に帰国する予定のため現地校は考えていなかったが、日本人学校という選択肢は親の視野にあった。当時娘は小学校一年生だったが、何となくでも本人の意向を聞いた上で学校を決めたいと思ったので例え話を出して聞いてみることにした。娘とふたりで自転車に乗って帰宅している最中に、「あなたと同じような絵を描いている子と、全然違う絵を描いている子がいるとするよ。どちらの子とお喋りしてみたくなるだろうね。」と話しかけた。娘は少し考えてから、「全然違う絵を描いている子と話したほうがおもしろそうだなあ。」と言った。私はこの感覚は大切にしたほうがいいと思った。そして娘が通う学校は好きなところに決めて良いと言ってくれていた夫に話をし、オランダの公立インターナショナルスクール(英語教育の学校)へ入学願書を出すことを決めた。

インターナショナルスクールに入ったからといってすぐに英語がペラペラになるわけではない
「子どもは柔軟だから、現地(英語環境)に行けばすぐに英語を話すようになる。」こちらもよく聞く話だ。確かに大人と比較すればそのような傾向はあるかもしれない。しかし実際に学校で子どもたちと接していると、かなり個人差があることに気がつく。もともとお喋りが好きだったり積極的で外交的なタイプの子は比較的英語の発話が早いようにみえる。逆に内向性だったり良くも悪くも母語や母国の文化に執着があり外国を受け入れづらい感覚が強い子の場合、YesやNoを言えるようになるまでに何ヶ月もかかることがある。これは非英語圏から来た子に共通の印象だ。学校にどうしても馴染めない場合は転校したほうが本人にとって安心して生活できるケースもある。正解はない。いずれにしても非英語圏から来た子どもたちは多かれ少なかれ言葉が話せない苦難やジレンマの時期を経て発話まで行きつく。この過程はどうしても本人が越える必要があるもので親は見守り時に励ますしかない。

しんどかった最初の3ヶ月
のんびりマイペースな性格の我が娘は、新しい学校へ通ってから3か月以上経った頃に“Can I Play(私も一緒にあそんでいい)?”など片言の文章で英語を話し出した。ほとんど口に出さなかったが初めの1、2ヶ月は相当しんどそうだった。彼女は日本で英語の勉強をしないまま突然英語環境に入った。だから先生が言っていることが分からないしプリントに何が書いてあるか読めない。これが何日も何十時間も続く。結果だけ聞くと3ヶ月で話し始められたなら早いと思う人がいるかもしれないが、子どもにとって言葉が分からず頼れる人がいない90日間の学校生活は果てしなく長いものに感じるはずだ。入学して2ヶ月が過ぎた頃に、娘が、「(英語が話せないから)学校ではカメみたいになっていて休み時間に話す子がいなかったらひとりで折り紙を折っている。寂しい時もあるけど私は大丈夫。」と力なく言っていて胸が痛んだ。あまり大丈夫ではなさそうだった。

フォニックスの練習をはじめた夏休み
現在娘が通っている学校にはELA*という英語の補助クラスがあるのだが、元気がなくなる一方の娘を見て、学校以前に親の助けが多少必要かもしれないと感じた私は、夏休みを使ってアルファベットの大文字小文字とフォニックス(発音)を一緒に練習することにした。これはやってみて良かった。9月の新学期が始まる頃には街で見かける“AMBULANCE”(救急車)などの英単語をゆっくり追って読んで認識できるようになった。自分が置かれている世界で、何かに翻弄され続けるのでも傍観者になるのでもなく、探検や冒険をするような気持ちになれると毎日は面白くなる。夏休みの最後に、娘はそういう階段を登り始めた。
*ELA(English language acquisition)…英語を母語としない児童・生徒のための英語補習クラス。ダッチインターでは、英語が母語の生徒はオランダ語の授業を受講する。

やさしいクラスメイトと友人支え
どこにいても、誰かが何かが出来ないことを馬鹿にする子がいるいっぽうで他人の成功を祝福できる子がいる。新学期が始まり娘が初めて学校でone,two,three..と英語で数を数えた時に同じ班のひとりの子は冷笑し、ひとりの子は、「🌷(娘の名前)が英語を話した!Bravo(すごい)!」と褒めてくれたらしい。後者の子に娘が救われたことは明らかである。また偶然に学校が一緒だった近所の友人🌻は、娘に自分が2-3才の頃に使っていたという日常生活の英単語学習用の音が出るおもちゃを貸してくれた。結果的に、何人かのこうした心の優しい友人と彼らのあたたかい家族が周囲にいてくれたおかげで、娘は別の言語世界におそるおそる足を踏み入れることができたように思う。

半年後の現在
先のバレンタインデーに娘が学校から制作物を持ち帰った。気さくな人柄で知られる担任の先生(Mr.R)は、クラスメイト同士でお互いのポジティブな印象を伝え合うという機会を作ってくれたようで、A4サイズの画用紙にはハートを持った手とクラスメイトから見た娘の印象がいろいろと書いてあった。世界中で愛を語る日として親しまれているバレンタインデーだが、お迎えの時間に娘のクラスメイトたちが嬉しそうに誇らしげにこの制作物を片手に学校から出てくる様子を見て、何とも粋な授業だと私は感動した。

このような調子でオランダの学校での娘の1学期はなんとか終わった。2学期のはじめに、親子面談があった。担任のMr.Rは、「🌷は“quiet learner”です。まだ自分を表現できるというところには至っておらず、授業中に何をするか分からず止まってしまっていることも多いです。ですが彼女はクリエイティブなことや体を動かすことが好きなようなので、図画工作や音楽、体育の授業では初期の段階から言葉が分からなくても意欲が見られました。そこからクラスメイトと仲良くなって最近は楽しそうに遊んでいるし、転んだ子に声をかけたりよく他人を助けています。だから心配ありませんよ。」と話してくれた。娘は、日本の小学校に通っていた時も好きな科目は図工音楽体育と1年間言い続けており、当時は国語と算数はどこいったと呆れていたけれど、Mr.Rの話を聞いて非言語系の科目が楽しめる子で良かったと思った。

おわりに
娘本人に1学期どうだったと聞くと、「オランダに来てからいちばん変わったことは、今自分が英語を話していることだと思う。英語とかオランダ語で話しかけられるのがだんだん怖くなくなってきた。まだ自分から英語で気軽にお喋りできる友だちがあまりいなくて、それがたまにつらくなるけど学校は慣れてきて楽しい。クラスにはもっと話してみたい子が何人かいる。インディアやアフリカやコリアの言葉も知りたい。」と言った。初めてできた友人に対して彼女が思った時と変わらず、やはり先にモチベーションとなるのは人の存在で、仲良くなりたいとか知りたいと思うその先に言葉があるのかもしれない。

この先どうなるのかまだ分からないが、本人が出す赤信号を見逃さないように引き続き見守っていきたい。

バレンタインデーに娘が持ち帰った制作物 クラスメイト同士でお互いの印象を書くという授業だったらしい