アムステルダム仮暮らし

LIFE LANDSCAPE

10月31日に、アムステルダムの西側へ引っ越した。それまで借りていたアムステルフェーンの家が水漏れで住めなくなったからだ。半年間に渡り、我が家を翻弄した水漏れ事件と仮住まいへの帰結について、まとめておく。

アミット氏訪問

ことのはじまりは6月5日、誰かが我が家のドアを激しく鳴らすノック音だった。夜中の12時を過ぎていて怖かったので、夫に鍵を開けてもらうと、下の階に住むアミットさんが青ざめた顔で玄関前に立っていた。聞いてみると、アミットさん家族が寝ていたら、突然家の天井から大量の水が落ちてきたという。電気系統を管理している部屋もびしょ濡れになり、怖くて電気を使えないということだった。どうやら大変なことが起きたようだということで、その夜、夫は大家さんに緊急事態ですとメールを送った。

プランバー(水道屋)

アミットさんの訪問があってから1週間のあいだ、ほぼ毎日、合計4社の水道屋の作業員さんたちが入れ替わり立ち替わり我が家に出入りすることになった。外国ではよくあることと思うが、工事はいっこうに進む気配がない。半月後にようやく、床下に通っている水道管を床上から通す応急処置が施され、水漏れはいったん止まった。

そのあとまた半月くらいかかって調査が行われた。そして、我が家の床とアミットさん宅の天井の間には水道管が通っており、そのどこかが破損しているのだろうという、考えなくても分かるような、誰がどう見てもそうだろうという内容の結果報告があった。私は、全部屋の床に水道管のホースがむき出しになり、工事現場さながらの見た目になってしまった自宅に小さな悲しみを覚えながら、漠然とこれからどうしようかなと考えていた。

インシュランス(保険会社)

私たち家族は、ショッピングモールの上に併設されたアパートタイプの家に住んでいた。我が家の水漏れが起きた時に、ショッピングモールで大規模な工事を行っていたため、水漏れの原因は恐らくその工事の振動であろうと大家さんに話したところ、保険申請の手続きをすることになった。そのとき大家さんは私たちに、保険の手続きが終われば4〜5日工事をして、その後は今まで通り住めるだろうと言った。この楽観的でふんわりとした話を鵜呑みにし、私たちは契約更新し、ホースが床上に剥き出しの家に住み続けることにした。今思えばここがターニングポイントだった。あのとき水漏れ発覚の時点で、次の家を探して引っ越すべきだったのだ。

水道管破裂ふたたび

季節はめぐり秋になった。6、7、8月は人が出入りしていたが、9月は家の中を水道ホースが這っていることを除いては、平穏な日々のように見えた。しかし10月に入り、また水漏れが起きてしまった。
水漏れというのは深夜によく起こるようだ。浴室で大量の水を使うからかもしれない。10月のオランダは日本の真冬の寒さだ。我が家の玄関で凍えるアミットさんが、前回の比ではないほど水が溢れているので、今すぐに水のメインバルブを止めてくれと、哀しみと怒りが半分ずつといった様子で声を荒げた。

水はライフライン
ここからは大変だった。トイレ、お風呂、洗濯機が何日かずつ予告なしに使えなくなった。オランダには深夜早朝営業のお店はないので、隣人だけが頼りだった。優しい友人たちが声をかけてくれて、トイレを貸してくれたり、私の代わりに洗濯してくれたりした。家族でお風呂を借りるのには(何日間になるかも分からなかったため)抵抗があり、2週間くらいはキッチンで身を清めた。水・電気・ガスのインフラでどれが優先だと思うかと聞かれたら、オランダにおける今の私は、間違いなく水と答えるだろう。

強制退去

雨と寒空が続く10月後半、自宅の水系統が次々と使えなくなりながらのサバイバル生活でだんだん疲れてきた我が家は秋休みを迎えようとしていた。秋休みには、ピーターラビットが生まれたイギリス湖水地方への旅行を以前から計画していた。家がこんな状態なので、私たち家族は行くべきか迷った。でも大家さんが、「行って来なよ!こんな時こそ旅行を楽しんで!僕も行くし。」と背中を押してくれたこともあり、旅に出ることにした。そして私たちがオランダからイギリスに向かう船の中にいるときに、悲劇は起きたのである。

私たちは大家さんから1通のメールを受け取った。そこにはこう書いてあった。

「来週の火曜日に家の床を剥がすから、それまでに家具をすべて撤去して下さい。そして家から出て行って下さい。工事の日は動かせません。私は12月末まで旅に出るので、その後の全ての工事について立ち会いをお願いします。」

えっ!1週間後に引っ越してくれってこと!?

我々が旅行を終えてオランダに帰ってから、退去指定日までは、つまり引っ越し準備にあてられる時間は2日間しかなかった。


出て行ってくれと書かれているが、我々の住まいは?


家具をすべて撤去しろとのことだが、その費用は誰が負担するのか?

そして全ての立ち会いをなぜ家賃を払っている我々がしなければならないのか?


疑問だらけだった。

救世主あらわる

頭の中が翌週のことでいっぱいになった夫と私は、それでもなんとか旅行に集中するために、娘が寝ている時を見計らい、大家さんに私たちの住む仮住まいを手配してもらえるよう交渉したり、我が家の家具をどのように運べば良いかの算段を立てた。黙って何もしないでいたら、来週からは住む場所がなくなり、家具もどうなるか分からないことは必須だった。

大家さんからいきなり引っ越すように言われて、窮地に陥った我が家を救ってくれたのは日通こと日本通運さんだった。退去指定日の前に来てもらえないかと伺ったところ、はじめは急なスケジュールなのと来週は人手足りないから難しいというお返事だった。それでも何とかなりませんかとお願いしたところ、

「うーん。かなりお困りの状況のようですね。何とか手配してみましょう。」

この言葉を聞いて泣きそうになった。そして日通さんは、床剥がし業者が我が家に入る前日に来てくれた。
日通オランダは、日本通運のヨーロッパにおけるメイン拠点だ。作業員は日本の人もいればオランダの人もいる。みな礼儀正しく質の高い仕事をする(現地の引越しサービスは盗難や破損が日常茶飯事だが日通はそれを良しとしない)ので、日本人以外や他国からも仕事の依頼があるという。我が家の家具を運びに来てくれたリーダーは、「そうでもなきゃ、日本の企業がこんな外国で生き残れません。」と笑って話してくれた。

もしこのタイミングで日通さんが来られなかったら、我が家の家財道具は自分たちで倉庫を借りて、全て自分たちで運ぶほかなく、間違いなく大きな金額が発生することになっていただろう。助けてくれた日通さんには、ただもう感謝するのみだ。

かくして我が家は、アムステルダム西側の仮住まいへ引っ越した。

オランダの水漏れで大変だったこと

オランダで家が水漏れになると何が大変だった?と知り合いから聞かれる。それは複数の大きなストレスが同時発生することではないかと思う。水が使えない不便さ、先行き不透明という不安、強制退去の重労働、それと目に見えないけれど実は影響が大きいものとして人や文化的なストレスがある。

大家さんの豹変
それまであんなに優しかった大家のポールさんは、水漏れ工事が難航しはじめて以降、人が変わったようにイライラを隠さなくなった。この2ヶ月にいたっては、全てのメールが命令口調と文句で溢れていた。お兄さんのフランシスさんもまた、私たちに対し、あなたたちのせいで自分たち家族はアンハッピーだというメールをこまめに送ってきた。彼らは一方的に感情的な連絡をよこすけれど、私たちからの質問は全て無視していた。私は、映画インターステラーのマン教授のシーン「まだテストされてない。」というセリフを思い出した。人間は変わる生き物で、優しいはずの自分も、優しくみえるあの人も、もしかしたらまだテストされてないだけで、自分にとって致命的な大きな出来事があったら、こんなふうに変わってしまう可能性があるのかもしれない。大家さんとは、だいぶ揉めたあと、仲介不動産のスタッフに間に入ってもらい(そうした途端、高圧的な態度がおさまりメールも返ってくるようになった)なんとか平和的に今年の12月末までで契約終了することが出来たが、こういう、危機に伴う人の悪いほうへの変化はこわいと思った。自分がそうならないように気をつけたい。

文化の違い
オランダの人たちは家の中でも土足で歩くのが普通なので(靴を脱いでほしいと言ってもほとんど誰も気に留めない)、見ず知らずの作業の人たちが入るたびに、夕方から全部屋の床拭きをしなければならないのが地味にこたえた。相手の文化を尊重するということは本当に難しい。きっと私も出来ていないと思う。思慮深さやコミュニケーション能力、判断力、迅速さ、いろいろな力がバランスよく必要だ。

人々の反応
今水漏れで大変ですという話を、特に自分たちからはしなかったけれど、日本人界隈の噂はまわるもので、しばらくすると水漏れなんでしょうと声をかけられるようになった。こういうときに、「それはすごく大変だね。」と親身になる人と、「ふーん、で、どこ住んでんの?ふーん、」で終わる人がいる。気持ちがある人はそれなりの言葉をかけてくれるし、実際に助けるために動いてくれるものなのだと実感することが多かった。どんな人にもオープンマインドでいたいと思ういっぽうで、だいたいことが片づき始めてきた今、心が狭くなっているのか、出来れば心ある人たちとのおつきあいを重ねたいと、どうしても思ってしまうのである。

終わりに

今、仮住まい先の共用洗濯室で、洗濯機の空きを待ちながらこの文章を入力している。仮住まい先のスローテンは、アムステルダムの最も古い地域のひとつだ。隣が教会なので昼も夜もリンゴンリンゴンと鐘が鳴っている。今回の引っ越しで、娘の学校と習い事は遠くなり、公共交通機関を3つ乗り継いで、仮住まいから1時間半かけて通うことになった。強風にあおられながら、乗り継ぎで30分に1本のバスを外で待っていると体が震えてくるので、2人でシンタクラースの歌を歌いながらステップを踏んで気を紛らわしている。なんていうと平和そうだが、行き帰りの道は凍えるほど寒いし、乗り継ぎ途中のバス停は治安が悪く不衛生だ。毎日たくさんの物乞いに会う。現在、日々の暮らしには、家が遠い、寒い、こわい、汚い、危ない、、などネガティブな要素が多い。でもだからこそ、家路に着くとそのありがたみが、よりはっきりと分かるようになった。

一連の水漏れ事件を経て、明日どうなるかわからないという不安を子供の前で押し殺して通常通りに振る舞う感覚や、強いストレスを抱えた人同士のやりとりで生まれる張り詰めた緊張感は、私のなかの、人生で経験しなければしないですむほうが良いんじゃないかと思うことリストに追加された。いささか疲れてしまったけれど、いろいろと勉強になっている気もする。


それでもここへ来てひと月、不幸中の幸いが2つあることに気がついた。1つめは、ホテルの管理人エスターの人柄だ。エスターは、はじめから「私たちは大変な状況を全力でサポートします。ここはあなたたちの家だから安心して帰ってきてね。」と私たちを迎えてくれた。明るくて有能で、頼りになる存在だ。
2つめは、仮住まいの環境である。今滞在しているキチネットタイプのアパートメントホテルの周りには、教会と運河と馬小屋くらいしかないのだけれど、とても静かで落ち着く。教会の鐘が鳴り響くこの場所は、ヨーロッパ中世を思わせる雰囲気なので、そういう本や音楽や映画を楽しむのにぴったりなのだ。

この仮住まい生活は、来年の1月まで続く予定だ。30分ごとに時を告げる教会の鐘の音が、だんだん耳に馴染んできた。やらなければいけないことは山ほどあるけれど、この週末はホットチョコレートを飲みながら、ロード・オブ・ザ・リングでも観ようかと思う。

仮住まいからの景色