Journey from Japan to the Netherlands
オランダに到着して2週間が経ち、時差ぼけが抜けてきた。こちらで暮らす日本の方に会うと、時節柄、どうやって来たのか聞かれることが多い。東京からアムステルダムへ家族で動いた流れの一部始終を、移動の記録として残しておく。
切符の手配
東京-アムステルダム行き航空券の予約が取れたのは、出発予定日の1週間前だった。日系企業で海外赴任をする場合、赴任者の勤め先が、本人だけでなく帯同する家族の引っ越しや渡航をサポート(内容は会社によってさまざま)してくれることがある。今回の娘と私の渡航手続きについても、夫の会社がいろいろと動いてくれていた。
フライトチケットの予約は人任せにしない
通常、東京からアムステルダムへは、KLMオランダ航空の直行便で12時間で到着する。しかし前回書いた通り、戦争の影響で3月は日本とオランダを繋ぐ直行便は運行していなかった。この状況下で、担当の方が、これなら取れますとはじめに提案してくれたのは、大韓航空のソウル経由だった。しかし、ウクライナの件と、7才の娘が初めてのロングフライトに耐えられるかが不安だったので、確定を数時間待ってもらうことにした。
有事対応と子連れに安心の日系キャリア
調べてみると、日系の航空会社が独自のロシアウクライナ迂回ルートを開発し、フランクフルトやロンドン経由の便を運行しはじめていた。かかる時間は大韓航空とそう変わらないようだった。そこで担当の方に連絡し、大変申し訳ないが、言葉やサービス面で安心感のある日系航空会社の便へ変更してもらえないかとお願いしたところ、出発間際に日本航空の便を押さえてくださった。
出発までのスケジュール
出発日は、娘の小学校修了式を軸に決めてスケジュールを立てた。
3/24 小学校修了式
3/26 引っ越し&家を引き払う ホテル泊
3/27 九州から上京している実家家族と過ごす ホテル泊
3/28 羽田✈︎ロンドン✈︎アムステルダムへ
3月23日にオランダ政府が、今後は入国時のPCR検査陰性証明書の提出不要と発表したため、PCR検査の予定がなくなりスムーズに出発ができたことと、出立直前に家族とゆっくり過ごせたのは幸いだった。
羽田発 ロンドン経由のJL043便
人がほとんどいない羽田空港のターミナル3で、JALカウンターだけが混雑していた。近親者に見送られ、娘と2人でチェックイン(入国審査書類確認)とイミグレーション(出国審査)を終え、お腹がすいたねとそばを食べたあと、ほぼ満席の飛行機に乗り込んだ。
コンテンツ教の洗礼とオーロラ
娘は、普段家で規制されているコンテンツの視聴が無制限見放題となったことに狂喜乱舞し、映画やアニメを12時間半見続けたのち、2時間だけ眠った。一方親である私は、普段の旅行と違って緊張していた。北極海の上で墜落したらどうしようとか、杞憂が次から次へと浮かんでしまい、乗ってから数時間は目の前の”現在のフライト位置”画面にかじりついていた。
風向きを変えてくれたのは、CAの方からの「オーロラが見えますよ。」のひと言だった。オーロラは、アラスカの上空あたりで出現したらしく、乗客を順番に見やすい窓へ案内してくれた。以前に旅行会社に勤めていたことがある私は、何度トライしても見られずに帰ってくるお客さんと接していたため、オーロラを実際に目にすることがいかに難しいかを知っていた。まさかと息を呑む思いで真っ暗な空の先を見つめると、淡いグリーンが現れては消えていた。美しかった。
幻想的な景色のおかげで、後半は映画を観られるほど落ち着いた。深呼吸したらお腹がすいてきたので、友人がくれた、たべっ子どうぶつ(しみチョコビス)の袋を開けた。チョコレートが脳の緊張と疲労を溶かしてくれて、最高に美味しいビスケットだった。結局一睡もできなかったが、着陸時に不安な気持ちは飛んでいた。普段と違う環境下で、終始素晴らしいサービスを提供してくれたJALクルーの皆さんと、機内持ち込みにと餞別を渡してくれた友人たち、別世界に引き込んでくれたスコセッシ監督とアダムドライバーには、今も感謝している。
乗り継ぎはFlight connection(パープル)を目印に
14時間半のフライトを終え、飛行機はロンドンのヒースロー空港に着いた。乗り継ぎは2時間で、ブリティッシュ航空と日本航空の共同運行便に乗り換えてロンドンからアムステルダムへ行く。
コンテンツ中毒でかなりグロッキーになっている娘の手を引っ張り、【Flight Connection】のサインに従ってどんどん進んだ。頭がしっかり動かない(いつものことだが)なか、夫が出発前に、「とにかく、【Arrival】に行かないように注意しよう!」とアドバイスをくれていたのが役立った。バスに15分揺られ、次に乗る飛行機の出発ターミナルに着いた。
久しぶりのヒースロー空港は広くて分かりやすく、Wi-Fiもすぐに繋がり快適だった。一直線に搭乗口へ向かおうとする私の手を、ミス・グロッキーが別の方向にぐいと引っ張る。娘が指し示した方向の先にはハリーポッター・ショップがあった。彼女がその時背負っていたリュックには、お気に入りのハリーポッターのフクロウのぬいぐるみが入っていた。たまたま着いたのがイギリスだったからなのだが、外国には仲間が住んでいるんだ!嬉しいね!と興奮気味に自分のぬいぐるみに話しかけていた。搭乗ゲートで待っていると、夫からLINE電話※で安否確認が入った。
ハリーポタ・ショップのおかげで、疲れてはいるけれど明るい気持ちでブリティッシュAIRへ。ヒースロー空港では、子連れと分かると知らない人同士が声をかけあって、列の前の方に優先してくれる場面が度々あった。飛行機の機内でも、隣の席の女性が、”子どもは外を見たいでしょ?”と、すぐに窓際の席を譲ってくれた。私は、自分がヨーロッパにいることを実感した。
ようやく着いたオランダ
イギリスから2時間半飛行機に乗り、オランダのスキポール空港に着いた時には、現地時間で夜の十時をまわっていた。久しぶりの家族の再会は感動的なものになる予定だったが、到着出口のミスマッチで、待っていた夫を背後から驚かすという不思議な展開になった。
ハイネケンとバーガーキングが私を呼んでいる
オランダと聞いて何を思い浮かべるのかは人それぞれだろうけれど、私の場合は、ハイネケンビールとバーガーキングだ。25年前、中学生の頃に一度アムステルダムに住んでいたことがあり、当時同級生と放課後に立ち寄っていたからである。空港に着いたら懐かしくなってしまい、見たことのないタッチパネル式の端末で夜食をオーダーし、テイクアウトした。家族揃って新しい家に到着し、3人でフッパーとマヨネーズ付きのポテトを完食して、倒れ込むようにベッドに入って眠った。
家族や友人へ
今回、直前までフライト時間の変更が発生していたため、スケジュールの確約が出来なかったことと、変更をもれなく伝える自信が私に無かったため、空港見送りのお申し出はお気持ちだけいただき、断らせてもらっていた。また、退職後1ヶ月での引っ越し準備が間に合わず、たまたま機会があった人にしか別れを告げずに出国することになった。いろいろなことを全然スマートにこなせないなかで、聞いたよ、気をつけて行ってきてね、きっとまた会おうね!と、たくさんの方々にやさしい声をかけてもらった。元職場の同僚や友人たち、富士山から送り出したいと言ってさよならキャンプに連れて行ってくれた友人ファミリー、自分の宝物をくれたソウルメイト、前日に出発を聞き空港に駆けつけてくれた友、引っ越しで大変なときに娘を預かってくれた妹夫婦、そして家族と、今回お世話になった人は数知れない。それぞれの気持ちを込めて、あたたかく送り出してくれた皆のおかげで、不安なく新しい場所に行くことができたし、今がんばろうと思えている。時間をかけて感謝を伝えたい。
※LINEはWi-Fi環境があればヨーロッパでも問題なく使える