祖国の言葉

CULTURE

The language of the motherland


気になる人
現在、私の娘は、オランダの公立インターナショナルスクール(通称ダッチインター)に通っている。そこには、100を超える、さまざまな文化的背景や国籍の子どもたちが在籍する。そして、毎日、朝と午後の学校は、子どもたちの送迎に来ている保護者でいっぱいになる。

娘が学校へ通いはじめた頃から、私には、気になっている保護者が、1人いた。年齢は、還暦を過ぎた私の母より上で、92歳の祖母よりはだいぶ下といったところだろうか。彼女はいつも、見たことがない色合いの素敵な洋服を着て、美しい白髪をサングラスで上にあげていた。

気になっていた理由は、年齢でもビジュアルのことでもない。彼女の行動が、他の保護者と違っていたからだ。保護者たちは、たいていの場合、保護者同士で談笑しているか、一人で肩の力を抜いて、立ったり座っていることが多い。けれど、彼女は、子どもをピックアップするまでのわずかな時間に、常に勉強をしていたのだ。

なぜそんなに真剣なのか
英語教育の学校なので、校内の公用語は英語だ。通わせる保護者たちは、英語圏出身のネイティブか、片言だとしても、日常英会話は問題ないという人たちがほとんどだ。そういう場所で、I, You, Helloといった、基本的な単語が書いてある、ぼろぼろの紙を持って、声に出して発音練習をしている姿は、けっこう異色ではあった。他の保護者がどう思っていたのかは知らないが、私は彼女を見かけるたびに、吸い寄せられるように見てしまっていた。

顔見知しりのきっかけは突然に
私はその日、子どもを迎えに行く途中の道で、たまたま彼女を見かけ目が合った。お互いに顔は認識していたので、なんとなく一緒に行くことになった。彼女は英語で話しかけられるのを恐れているふうだった。この気持ちは分かる。私も、初めて外国に行った時は、自分が分からない言葉で話しかけられるのが、とても怖かった。(ちなみに、私の現在の英会話力は、意思疎通は問題ないが、流暢と言えるレベルではない。)

共通言語を持たない者同士の自己紹介
偶然会った彼女と歩きながら学校へ向かう途中、私は出来れば彼女に安心してほしいと思ったので、胸に手をあてるジェスチャーをして、自分の名を3回言った。すると、相手も同じジェスチャーをして、「カーチャ(仮名)」と、彼女の名前を言ってくれた。

オランダで英語で自己紹介をする場面では、通常、自分のファーストネームを言って、そのあとに、出身国や自分のルーツを伝えることが多い。そうすることで、お互いに、相手の文化や、個人が持っている背景を尊重しやすくなるからなのだろうと勝手に理解している。

私はカーチャに、自分のルーツである日本を伝えようとしたけれど、彼女は英単語のJapanやJapaneseを知らなかった。それで私は、自分が知っている限りの言語で、「日本」に関連する単語を発した。オランダ語で日本人を意味する、ヤパンセを発音したときに、カーチャがひとしきり考えたあとに、「ヤポンスキー!」と叫んだ。そして、自分を指して、「ウクライーンスカ。」と言った。彼女はウクライナの人だった。

動物園で聞いた クラス担任の話
私は6月に、娘の学年イベントである、動物園遠足の付き添いボランティアに参加した。ウクライナと聞いて、そのボランティアをしていた際に、娘のクラス担任の先生と会話をした内容が頭に浮かんだ。
「現在、学校には、ウクライナから来た子どもたちがいます。今後増えることがあるかもしれません。保護者の中には、この機会に、平和についての授業をすべきだという意見もあります。でも、私はその意見に否定的です。お父さんだけが、故郷(ウクライナ)に残っている子がいます。私は、身近な家族が危険にさらされている子どもたちに、不安で怖いことを思い出させるようなことをすべきではないと考えています。そんなことをしたら、彼等の、ただただしあわせな子ども時代を守ることができないからです。私は、学校で子どもたちに、戦争の話はしません。安心して毎日を楽しく過ごせる方に、みんなで向かっていたいんです。」

他のヨーロッパ諸国と同様に、オランダも、多くのウクライナ人移民を受け入れており、2022年2月24日の戦争勃発以来、人口約1,700万人のオランダに入国したウクライナ人は、約6万人にのぼる。(参考までに、人口約1億2,000万人の日本へのウクライナ人入国人数は、2022年7月1日時点で1,615人だ。)オランダの公立学校には、地域差はあれど、各クラスに1名前後のウクライナ出身の子どもたちが通っている状況である。

また、オランダは、ユニセフの報告書「レポートカード16」における、世界の子どもの幸福度ランキングで、2020年、2021年ともに首位という実績を持つ。この結果には、多様さを受け入れ、他国の人にフレンドリーな文化や国の教育方針が影響していると考えられている。私は、先の動物園ボランティアの時に、ただしあわせな子ども時代を送らせたいと言った先生の言葉に、オランダの教育姿勢を見た気がした。それ以来、私自身も至らないながら、今まで以上に学校での話題や言葉、振る舞いに気をつけて生活している。

悲しい日
顔見知りになったカーチャと私は、学校で会えば、お互いに声をかけあった。夏休みがはじまる前日の、7月のある日。娘を迎えに学校へ行くとカーチャがいたので、隣に腰掛けた。彼女は英語の勉強をし、私は本を読んでいた。すると、突然カーチャが、何かの言葉を叫んで、彼女の携帯電話の画面を私に見せてきた。画面には、砂煙と、ウクライナ語と思われる文字が写っていた。私はウクライナ語は読めないため、翻訳アプリで写真を撮らせてもらった。街の名前らしき単語だということが分かったので、インターネットで検索すると、あるウクライナの街が攻撃されたというニュースが出てきた。

カーチャは、「ロシア、ロシア、テン、ベビー」と繰り返して、赤ん坊を抱く仕草をした。10ヶ月の赤ちゃんが命を落としたことを私に伝えようとしていた。彼女の肩が震えていたので、私は背中をさすった。カーチャの目から涙があふれた。私も、自分の感情を抑えることが出来なかった。

次の瞬間、学校の玄関から、授業を終えた子どもたちが一斉に出てきた。カーチャは、はっとして立ち上がり、毅然とした表情で涙をぬぐうと、何事もなかったかのように満面の笑みで彼女の孫たちを出迎えた。私もひと足遅れて笑顔を作り、走ってきた娘を受け止めた。

カーチャが見せてくれたFacebookのニュース。タイトルは ウクライナ語 で”ヴィーンヌィツャ”(都市名)


新学期
それから夏休みが始まり、あっという間にひと夏が過ぎた。私は夏の間、たまにカーチャのことを思い出したけれど、だからといってどうすることもなかった。

そして、久しぶりに学校が再開する日がやってきた。子どもたちの進級(オランダの学校は9月始まり。進級しない場合もある。)を祝うムードのたくさんの保護者に混じって、変わらず英語の発音練習をしている、以前にまして快活な笑顔で笑いかける彼女を見たとき、なんだかほっとしたのと同時に、苦しい時でも前に進むための勇気をもらったように感じた。

大切にしたい言葉
カーチャは私に、いくつかのウクライナ語を教えた。вареники(バリニキ)は、餃子に近い見た目の、ウクライナの伝統料理だ。表情とジェスチャーから察するに、カーチャの得意料理らしい。До побачення(ド・ポバーチェニャ)は、「さようなら。」それから、Дякую(デャクユ)は、「ありがとう。」どの言葉も、カーチャが1音、1音、気持ちを込めて発音するので、ウクライナ語は、やさしい響きとして私の耳に残っている。

ひとたび外国へ出てみると、祖国の言葉や文化は希少さを持つようになる。多文化、多民族国家のオランダでは、自分が出会う人たちに、オランダ以外の祖国があるケースが多い。自国の言葉や文化を持ち、愛着がある人たちに、祖国の言葉を教えてもらうと、宝物を分けてもらったような気持ちになる。自分の場合でも、親しみを込めてコンニチハと日本語で挨拶してもらうと、とても嬉しい。ベースツールとしての英語のその先に、それぞれの祖国あるいは故郷の言葉がある。(英語圏出身の場合でも、恐らく、イントネーションの微妙な差みたいなものがあるのかなという気がする。)そこに辿り着くと、互いの距離が、ぐっと近づくように思う。

だから、カーチャに会ったときは、別れ際に、彼女の思い描くふるさとはどんなところなのだろうと想像しながら、“ Bye.”でも“ See you.”でもなく、あやふやなウクライナ語で、「ドポバーチェニャ。」と言ってみる。そして、カーチャは私に、これまたあやふやな日本語で、「サヨナラ。」と返す。

ウクライナの伝統民族衣装 植物や鳥の刺繍があしらわれている